亀ヶ首訪問記  その1 その1 その2 その3 その4 その5 その6
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 明治22年(1889年)明治政府は呉に鎮守府を設置した。
さらに,日露戦争を前に明治36年(1903年)には,海軍工廠が開設され,それまでは瀬戸内の一漁村であった呉は,海軍の町,東洋一の軍港として急速に発展することとなる。
また,旧海軍は江田島に兵学校を建設するなど,呉湾を巡る島々に各種の軍施設を建設していった。
そして,音戸の瀬戸をはさんで呉の南に位置する倉橋島にも,いくつもの軍施設が造られることとなるが,島の東端にあたるここ亀ヶ首近辺には,海軍工廠の支所として砲弾の試射場が設けられた。
現在は,一見そんな面影もなく,岬には耕して天にいたるまでみかん畑が張り付き,美しい砂浜が広がる亀ヶ首であるが,かつては,鉄条網で遮断された要塞地帯であった。
また,第二次世界大戦中は,旧音戸町大浦崎(現在は広島県立水産海洋技術センターの敷地になっている。)にあった特殊潜航艇基地の大迫分隊も設置された。
そんな歴史を持つ亀ヶ首へ至る廃道に,旧海軍のトンネルがあると聞きつけ,好天に恵まれたこの日,探索に出かけてみた。

倉橋島の東の行き止まり,大迫地区が亀ヶ首へのルートの入り口だ。
狭い街中を護岸沿いに走り,護岸のきれたあたりから,コンクリート舗装された急坂の農道を一気に上っていくとすぐに,右手にきれいな海が見下ろせるようになる。
普通車でも厳しいくらいの狭い農道を無理やり進んでいくと亀ヶ首方面への分かれ道がある。まっすぐ行くと亀ヶ首の近くまで行けるが,尾根の上で行き止まり。農作業の方に道を尋ねるとそこから,亀ヶ首方面への道はないといわれ,ひき返す。
地元農家の方の指示どおり,車はここの広場に止めることにする。向かって左へ下っているのが亀ヶ首へ行く道だ。


下って行く道はコンクリート舗装されており,十分普通車が走れそうな気がするが,ものすごい急坂。カーブもきつい。
さらに,転回場もなくなっているので,車では入ることが出来ない。(地元農家の方にも車では降りるなよと言われた。)

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