キリズシ隧道 5(失敗編) きりずし 里道?
大分県中津市(三光村)−宇佐市
延長 74.0m  
幅員 2.80m  
竣工  1870年  
左方向へ行くのが隧道への古道であることは認識できていた。萱切隧道をたずねた際の道も似たようなものだったからだ。

しかし,見るからに歩きづらそうである。ということで,しばらく歩きやすそうなまっすぐな道のそばを歩いて,途中で左折してキリズシ古道へ抜けようと思ったのである。
何でそんなことを思ったのかは今となってみると良くわからないが,山で道を失う典型的な例である。

キリズシ古道が左へ分かれた後,すぐに右方向へ折れているように見えたのも原因か。(実際は小さなカーブを繰り返して隣の谷へ上っていくだけなのだが)
そして,そろそろ左へ曲がってキリズシ古道へ戻るかと思って植林帯(下草が生えていないのでどこでも歩けるような状態だった。)を抜けようとしたところ,竹の生えた山の斜面に突き当たってしまった。

結構急な斜面である。本当ならここで,キリズシ古道へ突き当たる予定だった。しかし,道がない。というか,行き止まりである。

かすかな踏み跡はあったので,それをたよりに斜面をよじ登ったり渡ったりしながらうろうろした挙句結局は元の直進していった道へ戻ってしまった。(この時点ですでに方向感覚を失っていることに気づいていない。)

先ほど突き当たった斜面を無理やりよじ登っていけばもしかしたらキリズシ古道のある隣の谷へ抜けられていたかもしれない。
戻った道も,降雨時には川になるのであろうことから,深くえぐれて道のそこには石が転がっている。このころには,左じゃなくて右へ行けと言われたんだったかななどと思い出しているから始末に終えない。

復帰した道を登っていくことになる。どつぼにはまるとはまさにこのことである。
それでもしばらくは,それなりに歩きやすい道であったが,小さな池を過ぎ,古い墓地(キリズシ古道への入り口にあるKさん一族のお墓だそうだ。)をさらに過ぎるとだんだんと様子がおかしくなってくる。

どうも,かつて荷車くらいは通したかもしれないような古道ですらない。
それでも,ところどころにある平地(おそらくは植林の際に作られたもの)を古道ではないかと信じ,また踏み跡もあるのでそれを辿って登って行く。しかもだんだんと稜線が近づいてくる。

藪に覆われた川だか道だかわからないものもある。もう少し無理すれば,隧道があるかもしれない!とのかすかな期待はあったが,ついに踏み跡もなくなり,完全に藪に行く手をふさがれてしまった。
稜線までは,おそらくは直線距離で100mもない。しかし,これ以上は進むこともできない。(藪漕ぎを想定していなかったので足元以外は比較的軽装備である)

ということで,撤退!


まあ,道に迷ったことは間違いないようだし,今なら帰り道も何とかわかるので撤退時期としてはぎりぎりの判断だったと思う。


帰り道も,倒木をえっちらおっちら乗り越えたりしながら下って行き,ため池までたどり着いたときにはほっとした。

教訓@ 古い山道の廃道に入るときはコンパスと地形図は必携(特に迷うようなことが想定されなくても)
教訓A 藪漕ぎを想定しない場合でも軍手くらいはもって上がろうね。あと,大型カッターナイフでもないよりはぜんぜんましなのは長門鉄道の廃隧道で経験済み。
教訓B 人の話しは真剣に聞いておこう。勝手に判断しない。
教訓C これが一番大事かな。撤退時期をきちんと見極めよう。


そして,車まで降りてきたところを入り口の農家のKさんに招きいれてもらっていろいろお話とか,お菓子とか飲み物をいただいた。その節は大変お世話になりありがとうございました。

実は,先日も東京から自転車乗りの方がこられて,隧道のへ上っていきちょうどそのときの写真が私が訪ねた前日に届いたということで,奇縁ですねえということになったのだ。

宇佐から60年前にお嫁に来たというKさんは実家へ行き来するのに,小さな子供を背負ってキリズシを通って3時間の道のりを歩いたりしたそうだ。耶馬渓鉄道→中津→国鉄→豊前善光寺と回ると4時間かかるので歩いたほうが早かったということだ。また,1度など夜遅くなり提灯をともして通ったこともあるという。当時は,10分ほどで隧道まで行けたという。

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