絵ノ島探索記(小那沙美島)  その1 その1  その2  その3  その4
  その5  その6  その7  企画TOPへ

広島県江田島市(旧沖美町)に所属する島に絵ノ島という小さな無人島がある。もともとは,小那沙美(小奈佐美)島と呼ばれていたが,昭和35年に改称され現在は絵の島が正式名称のようだ。島にある灯台も「安芸絵の島灯台」という名称に変わっている。

距離的には厳島から数キロといったところで,かつては海水浴場として経営され季節運行の旅客便もあった。また,Dr.スランプのヒットした時期には「ゲンゴロウ島」という愛称がつけられていた時期もあった。

広島市周辺の住民にはおなじみで,30代以上の方は子供の頃に海水浴に行った経験をお持ちの方も少なくないのではないだろうか。

その絵の島には隧道や地下壕,あるいは海水浴施設の残骸がいくつもあり,海上や対岸の宮島からでも一部を確認することができる。



▲宮島から絵ノ島を望む

▲宮島の鷹巣砲台跡地から絵ノ島遠景
▼穴が開いているのがはっきりと見える
▼明らかに貫通している穴も。

隧道探訪のマフラー巻き氏によって最初の情報がもたらされてから,上陸作戦を行うべく船舶免許の取得,船の調達方法の検討,船の操縦練習や下見調査などを行ってきたのだが,なんだかんだで1年半以上が経過した。

その間にも絵の島の隧道群について成因を調べてみたのだが,記録が見つからず(沖美町に関する歴史資料が少ない。),周辺の島に多く見られるような「広島湾要塞」の一部ではないかと考えていた。

しかし,隣にある大那沙美島や対岸の宮島には砲台が建設された記録があるものの(宮島には遺構も現存している。)この絵の島については記載がない。

詳細が不明のまま,広島湾の他の島にはほとんど軍施設が存在したことから,たぶんそうなんだろうという推測以上の情報は得られないまま,当日を迎えることになった。


▲事前調査では桟橋へ取り付いてみたのだが・・・

▲桟橋は岸から数メートルは離れている。
▼他にも小穴の類が・・・
▼戦前の桟橋の様子といってもつぶれてわからないか・・・

2007年10月27日はまさに「天気晴朗なれども浪高し」といった天候となった。

台風20号がはるか南洋上に発生して関東方面へ向かいつつあり,北風が強くなることが予測されたため,風下となる島の南側から上陸することとし,出航。

乗船者は3名。愛媛県からマフラー巻き氏もはるばる海を渡って参加してくれた。


その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  企画TOPへ