金輪島隧道(仮称)訪問記  その1 その1 その2 その3 その4
 金輪島は,広島港の沖約1キロのところに浮かぶ周囲5kmほどの島だ。人口はわずか45人(2005年12月末の住民基本台帳)だが,島の東側には西武造船の工場があり,島の造船所として知られている。
 この造船所は日清戦争のあった1894年(明治27年)に陸軍運輸通信部宇品支部(陸軍運輸部)の金輪島工場が設けられたのがその始まりで,戦後は1951年(昭和26年)に金輪船渠が軍から施設の払い下げを受けて操業を開始し,引き続き現在まで造船の島としての歴史を刻みつづけている。
島は,全体が花崗岩で出来ており,軍事施設であったことなどから,がけには,いくつもの壕が掘られている。
かつては比治山や岩滝山といった広島市やその周辺の山には,防空壕として掘られた同じような洞窟がいくつも残っていたが,開発されたり,埋められたりしてほとんど姿を見なくなってしまった。
昔話はさておき旧隧道へいってみよう。船着場からすぐ右手の山へ入っていくコンクリート舗装の道。そのコンクリート舗装の道からもさらに右へ入る草ぼうぼうの廃道がある。

キケンです!!との警告看板がこの先にあるものを予告してしまっている。
廃止から最低でも10年経っており,すでに道の両側から藪が覆い被さってきているため,夏はちょっと近づくのに不愉快そうだ。
しかし,路面は舗装されており,右側には鉄製のガードパイプの痕跡があることにより,廃道を歩いていることを確認させられる。

登り口から5分も歩かないうちに,軽自動車の廃車体が,2台見えてくる。かつてはこの道を自動車が登ってきていたのであろう。
道も左の山側へカーブしているようでそろそろ何かありそうな雰囲気である。


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